Death March 無職の行進

止まない雨は存在した。

無題

ぼやかすために酒を飲んで、その勢いで寝る。目が覚めた時に気分が悪いのは、寝てもなお、あれほど嫌いな仕事のことを考えてしまっているからだろう。夢の中では現実では有りえない状況で、仕事がうまくいかずに困っていたり、職場で不満を持っている相手に詰め寄っている。自分にとって仕事とはそこまで大事なことなのか。なぜここまで嫌いと自覚しているのにやらなければと思ってしまうのか。

 

ああ、思いっきり人を罵りたい。感情的にというよりも理詰めで追い詰めて謝罪させたい。あなたがやっていることはこれだけ間違っているということを理解させて屈服させたい。正直、毎日こんなことばかり考えている。異常だと自分でも分かっている。こう思ってしまうのは、日々攻撃されていると思っているからだろう。実際にされているかは分からない。過敏に反応してしまう自分の思い過ごしなのかもしれない。

 

毎日いやだいやだ、つらいつらいと生きている割りに、自分がそこまでの境遇にいるのかと思う。職場の環境は今まで勤めてきたところと比べると格段に良い。新卒で勤めた会社では最長で一度だけ二十連勤ということもあったが、今ほどいやだ、つらいとは思っていなかった。希望を持っていると強くなれるのだ。今は些細な嫌なことがあるだけで、この状況でこの追い打ちとは神も仏もいないのかとぐっとさらに落ち込む。

 

つらいつらいと思ってしまう理由として自分が抱える対人の問題もある。初対面では謙虚、低姿勢を装うが長続きしない。初対面でも一見無礼とも思える、カマしてくる傾向の人に対して以前は全く理解できなかったが、今では彼らのナメられないための処世術なのだと腑に落ちる。相手に尻尾を握らせない程度に威圧し、小馬鹿にする。これが世渡り上手というものだろう。それに腹を立てて、子供のように不機嫌になってしまう僕は彼らのようにはなれない。

 

なぜと考え始めると、考えが止まらない。この前、「この日出勤になっているけれど、大変な日だよ。残念だね。でも頑張ってね。」とわざわざ声をかけてきた人がいた。その人はそういう役職でもないのに職場の勤務配置や時間をなぜか覚えていて、あの人は今日は有給をとっているだの、と大声で話している。帰り際にも明日は出勤か、だとかなぜ先週いなかったのかなど関係もないのに聞いてくる。なぜあの人は僕に「大変な日に出勤になっている」ことを伝えたかったのだろう。当人はその日は不在だったのだが、その優越感を味わいたかったのだろうか。僕の嫌そうな顔を見たかったのだろうか。「None of your business」的な発想ができない人が苦手でならない。世間の人はこういうことを言われても笑顔で答えるのだろうか。この些細なやりとりですら嫌な顔をしてしまうからこそ、世間とうまくやれないのだろう。

 

誰か一人でいいから理解者が欲しい。エヴァンゲリオンのアスカが「他人の為に頑張ること自体が楽な生き方をしている」というようなことを言っていたが、その通りだと思う。もう自分自身のために何かをするということに疲れた。友人には普段の僕の言動を見ていると結婚をしたいと思っているようには見えないと言われるが、正直なところ、心の底から理解のある嫁がいたらどれほど良いだろうと思う。ただ寄りかかりたいだけではない。ああこの人のために頑張らねばと思える人が欲しい。この気難しい扱いづらい僕と一緒にいてくれる人を探すのは難しいだろう。ただでさえ僕のことを気にいる人なんていないだろうし、もし出会えたとしても相思相愛になって結婚にまでたどり着ける確率は天文学的確率だろう。

 

今の状況に悩んでいることを父に話をしたことがあった。恥ずかしいので出来れば隠しておきたかったが、医者も友人も頼れないと藁をも掴む思いで話をした。父は機嫌が悪いと無口になる一面はあったが暴れたり手をあげる人でもなく、僕のように職を転々とすることはなくしっかり者という印象だった。だが、かなり職場では僕と似たようなことをしてきたらしい。その度に母に「今日もやってしまった」と話をしていたらしい。それを聞いて心底羨ましいと思った。問題のある部分も受け止めてくれる人がいてくれたらと思う。僕の性質が親譲りであれば、父も仕事を自棄を起こして辞めたいと思ったことも多々あったと思うが、不出来な僕を大学にまで行かせてくれて本当に立派だと思う。だから産んで迷惑だとは言えないよね。

 

鏡を久々に見ると、白髪は増えて、運動を全くしない癖に暴飲暴食を繰り返すため、腹はでっぷりと出て醜いとしか言いようがない。こんな状態で街を歩いたり、職場へ行っていると思うと、嫁が欲しいなどと口が裂けても言えない。

 

ああ明日もツンと鼻をつく匂いのキツイ満員電車に乗り、会いたくもない人がたくさんいるところへ行って、つまらない会話ややりとりを耳にしながら作業をして、あとこれが三十年、四十年も続くのかと途方にくれるのだ。そして家に帰れば、唯一の慰めである晩酌をして、することもないので酔った勢いでベッドに倒れるのだ。

 

ああ、ひとが嫌いだ。無神経な爺が嫌いだ。それってあなた関係のないことですよねと言いたい。家族があるからと片手間に仕事をして、残業もせずに颯爽と帰っていく主婦連中も嫌いだ。幅を利かせているにも関わらず、いざ追い込まれた状況になると白羽の矢が立たないように逃げ隠れする輩も嫌いだ。先輩面して職場全体で抱えている業務には一切手を貸さず、新人がやっとけという態度であるのに、どの作業でも活躍をせず、どの場面でも新人に作業を押し付ける先輩が嫌いだ。先輩らしい一面をみせてもらっていないのに敬えというのは無理な話だ。女ということを利用して爺に取り入り、楽をしようとする女も嫌いだ。古株であるのに仕事は信用できず、職場を混乱させた上で、全てを人のせいにするベテランも嫌いだ。

 

自分がつらいつらいと生きている理由の一つはひとがだめになってしまったことだ。性悪説を支持する。どいつもこいつも嫌いでならない。人を馬鹿にしたり、利用したり、見下したりする連中ばかりだ。これは根拠はないので、自分自身にこう言い聞かせたとしても生きていくのが辛くなるだけであり、自分で自分の首を絞めているだけだと分かっているのだが、自分では「真理に辿り着いてしまった」と揺るぎない結論になってしまっている。動線を塞ぐように立ち止まる人や、電車の中で平気で大声で電話をする人を見かけるだけでも、もう絶対にこの人たちとは分かり合えないと思う。

 

かつては好きな人がたくさんいた。好きだと自分から行動を起こしてその人と距離を詰めようと積極的に動いていた自覚がある。異性として好きな女性に対しても、人として好きになれそうな男性女性どちらに対しても。うまくいって恋人になった人もいれば、友人になった人もいた。だがどれも最後には嫌になってしまった。

 

話が支離滅裂なのは、普段頭を巡っていることも支離滅裂だからだ。