Death March 無職の行進

止まない雨は存在した。

ガバガバ

今週のお題「夏を振り返る」

 

他人を見ていて「よくそのガバガバさで生きてこれたな」と思ってしまう。最近になってこれをよく思う。これは僕の中でははっきりと出来上がっているのに言葉で説明し辛い。例をあげて説明したいと思う。

 

僕は人に失礼のないように、嫌われないように言葉使いや態度に気をつけているつもりだ。気をつけているというよりもビクビクしている、地雷を踏まないように気をつけている。一方で、世の中には失礼なことも平気で言ってしまう人がいる。そういう人は嫌われていたり、疎まれていたりするのかと思いきや、全然そんなことはない。なぜなのだろう。

 

僕は過去の職場で、仕事に対して怒られたり、叱られたりよくした(僕が不出来だったり、職場が異常だったという別の問題もあるかもしれないが)。なので仕事に対して過去に指摘された経験から「こうあるべき」というものが染み付いてしまった。目上の人と接する時はこうすべきだとか。自分の仕事が終わっても先輩が終わっていなかったら気にした方が良いだとか。一方で、僕の後輩の中には挨拶さえできない人もいた。僕はそれを見て、そんなことをしていると目をつけられるぞと思っていたのだが、彼らは特別叱られるわけもなくのびのびとしていた。なぜなのだろう。僕はなぜ怒られたのだろう。

 

僕ものびのびやってみようと思ったのだ。自分に厳しくなると、人を厳しく見るようになる。人を厳しく見るようになると、ストレスが多くなる。この悪循環を断ち切るために、試しに彼らのようにガバガバになってみようと思った。だが僕のガバガバは許されない。

 

職場の話だけではない。よく思うのが人付き合いおいてだ。僕は人付き合いにおいて我慢を強いられていると勝手に思っている(これも僕が過敏だとか別の問題があると思うが)。LINEが返ってこなくても、失礼なことを言われても、待ち合わせに遅刻されても。だが、そんな我慢をせずに奔放に振る舞う人がいる。親しい友人の陰口めいたことを平気で言ったり、僕はもし本人の耳に入ってしまったらと思うとヒヤヒヤしてしまうのだが、根にもたれたり関係が崩れたりしていないようなのだ。

 

一方で僕は故意に傷つけるつもりで言っていない言葉で恨まれたり(人に勘違いされていたり)、こちらは攻撃的な態度を見せていないはずであるのに反感を買っていたり。こんな経験いくらでも思い出される。今自分で書いていて思ったのだが、これは自分が故意でないにしろ、自分の無意識のうちに地雷を踏んでいるのだろうか。

 

 

 

 

なぜ僕は人を許しているのに、人は僕を許さないのだろう。似たことを言っていた人が過去にいたなあ。

 

dthma.hatenablog.com

 

こんな陰湿なことを考えているからストレスが手放せないのだろう。今年の夏も辛い夏だった。なにかうまくいきそうな気配はあったのだが。誰かが僕のことを監視していて幸せにさせないために邪魔をしているのでは(真剣には思っていない)。

 

僕自身にも自分では気づけないガバガバさがどこかにあるのだろう。だからお互いさまなのかも知れないが。痛いやつほどのびのびやっている。こういうのにイライラしているのは僕だけではないのでは?