Death March 無職の行進

止まない雨は存在した。

生きていてすみません

とにかく辛い。どれだけ考えを追いやろうとしても逃げきれず、勝手に頭の中で思い出したくもないことを思い出してしまう。

 

何か職場であった時はいつもそうだ。そのことばかりをうだうだと頭の中で繰り返して落ち込んだり、今後どうなるかを考えて不安になったりと忙しい。実際に問題が起きた瞬間よりもこの罪に苛まれる時間が一番苦しい。

 

どこにいても何をしていても、気分が晴れない。気持ちを切り替えようとしても、気がつくといつの間にかそのことについて考えてしまう。一日中それを繰り返す。

 

薬物中毒者が薬を止められないように、僕もやっても自分に得はないことは理解していても、やってしまう。自分の問題や弱さについてよく考えている。自分でそれを理解していても、治らないのであれば何の意味もない。自分の問題や弱さに考えることは自分を責めることだ。それにももう疲れた。

 

今また同じ失敗の階段を上っている。もう良い歳であるのに、一向に落ち着けない。いつか僕はホームレスになるのだろうか。それとも孤独死するのだろうか。犯罪者にはならないと誓いたい。

 

誰か人と関わらない仕事を知りませんか。そんな仕事を紹介していただけませんか。人とうまくやれないだけで、決して怠け者ではないし、全くの無能というわけでもないと思います。他の人が見えなければ、関わらなければストレスなく仕事が出来ると思うのです。もしそんな仕事を紹介してくれる人がいたら連絡いただけませんか。一人の人間を救ってもらえませんか。このままでは気が狂ってしまいます。

 

 

 

だが、自分では想像がつく。もし万が一にそういう仕事があって、幸運にも優しい人が僕に紹介をしてくれて採用されたとしても、一年も二年もすれば、重箱の角を突くようなことでストレスを感じ始めて不満を溢すようになる。最後はいつも一緒で、癇癪を起こして、はい、さようならとなる。

 

自分が甘ちゃんだと思う。皆、人と関わって嫌な思いをしているのだろう。理不尽なことに耐えて何とか給料がもらえる。傷つけられた!嫌な気分になった!セクハラだ!パワハラだ!と何かにつけて騒ぎ立てていたら、社会は成立しない。僕はセクハラもパワハラも受けたわけではない。僕だけではないのか。ここまで騒ぎ立てているのは。僕が間違っていて、社会が正しいのか。はたまた、その逆か。いつもその狭間にいる。もし社会が正しいのであれば、やはり僕は生まれるべきではなかったのだ。周りに白い目で見られて、自分でも自分が好きになれない。ただ毎日が辛い。

 

今まで、間違ったことをされ続けてきたと思っている。だが、その時には僕は我慢をした。だが、僕が少し間違うと問題になり、槍玉に挙げられている気がする。

 

生きていてすみません。

犯罪者

自分の感情を制御できない。自分の問題を自覚していても直すことができない。謝る気持ちが起きない。人のせいにしたい。

 

自分が犯罪者のように思える。決して暴力を振るってはいない。物を盗んだり、法に触れることはしていない。人の心を傷つけて自足感を得ている。これこそ、僕が最も嫌悪しているものであるのに、自分の習性になってしまった。簡単に感情的になってしまう。自分の感情を最優先にしてしまう。

 

相手に責められないような手段で人をからかったり、人に嫌な思いをさせる。こんな経験を色々な職場でしてきた。その度に悔しい思いをしてきた。いつの間にか自分もそちら側の人間になってしまった。だからといって努力をして直そうという素直さがない。今までこれほどまで嫌な思いをしてきて結局責められるのは自分だというのはどうしても納得がいかない。

 

もしかしたら犯罪者も同じ気持ちなのではないか。もしくは僕よりも悔しい気持ちになっているのではないか。環境に恵まれず、人からも理不尽に邪険に扱われて、歪んでしまう。歪んだ上に犯罪を起こして、人から糾弾される。自分の問題が分かっていても、悪いことをしてしまう。繰り返してしまう。

 

ちなみに僕は子供の頃の環境には恵まれていたし、幸運にも虐めにも会ったことはない。社会人になってから、学生の頃にしてこなかった苦労が一気に押し寄せ、理不尽が飲み込めず、多種多様な人々に狼狽てきた。人よりも恵まれた環境にいたのに、僕はひどい出来だと思う。

 

新卒の頃の人間性と全く変わっていない。成長を全くしていない。ここに書いている通り、後悔や反省は逐一するのだが、長続きせずに、感情的になることで問題を無理やり解決させてしまう。

 

自分が恥ずかしい。だが自分が変えられる自信がない。そんな努力をする気力も出ない。こうやって人に迷惑をかけ続けるのなら、いっそのこと消えて無くなりたい。恥ずかしいとか言っているけれど、自分でも分かるのだ。これは一時的な反省であって、これからも同じことを繰り返す。

 

だからこれからどうする、どうしたいということもない。ただこうやってうじうじとここに書く。どうすれば良いのか自分でも分からない。話すことができる友人も家族もいない。一人でいることによって自分がより孤立していく。自分がやばい人間になっていく。

 

以前、スーパーのレジ待ちの行列の中で揉め事を目撃した。明らかに僕の前に並ぶ女性がイライラをしていた様子だった。おそらく、彼女の前に並んでいた老夫婦が会計をしている最中に、横に広がって立っていたため、彼女が籠を台の上に置けず、そのことに腹を立てているとすぐに分かった。ついに彼女は籠をお婆さんの背中にぶつける感じで前に押しやった。お婆さんは困った顔をするだけで、その場では問題になっていなかったが、僕も会計を終えて袋に詰めていると、口論が遠くから聞こえてきた。女性はスーツを着ていて、仕事帰りではないかと思った。女性とは思えない口調と形相で口喧嘩をする彼女を見て、ああなったらお仕舞いだとつくづく思ったのだが、今まさに僕は仕舞いを迎えるべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 

いつも後悔することをまたやってしまう

自分の感情を制御することができず、人と揉める。

 

人のことを失礼だとか、人としておかしいなどと責めてきたのだが、彼らは責められることはなく、結局、僕だけが槍玉に挙げられる。

 

生きていくことがとても難しい。生きていくことを止めたい。全てが馬鹿馬鹿しい。ただゆっくり休みたい。決して怠け者でも無能でもないので、うまくやれるところがあるはずだ。と思いつつも、人とうまくやることが仕事において最重要である。それが全くできない。

 

ただただ悔しい。もう全てをおしまいにしたい。

 

もう人を憎んだり、恨んだり、責められたり、馬鹿にされたりすることに疲れてしまった。

 

 

いつも言っていることをまた言ってしまう

再三、人は邪悪だとか社会は狂っているなどと悪態をついてきた。だが、自分が社会で人とうまくやれず、取り乱したり、癇癪を起こしているのは自分が我が儘で、自分が可愛いからである。決して人のせいではない。

 

今まで自信を持って毒を吐いてきたのだが、自分に非があることに気がつくと、今までの自分がくだらなく、惨めに感じる。

 

だからといってどうということはない。今日もあるし、明日は来る。この自分自身でどうにかやっていくしかない。

 

どこで道を間違ったのか。

どこへ行っても何をやっても

眠れず、心落ち着くこともない。何に対しても敏感で、たまらなく生き辛い。

 

職場の爺や婆が扱いづらく、若い連中よりも子供染みている訳が今になってなんとなく理解できる。彼らは長年生きていて全てのことにうんざりしているのだ。言うことを聞いたり、人に親切にしたりすることがむしろ馬鹿馬鹿しいと感じているのではないか。楽しくもなく幸せでもなく、希望すらない。そんな状態では歪んでいく一方だ。自分も今まさにその過程にいる。

 

僕もほとんどのことが嫌になってしまった。何かをしたいということもない。もう自分を満足させるものやことはないと思う。どこへ行っても何をやっても結局は自分が駄目なのだから失敗に終わる。同じ結果になる。そんな自分を変えようと思っても、変えられない。我が儘で自分が可愛い。我慢をするということを知らない。

 

眠ることも許されず、休むことも許されず、楽しみもなく、幸せでもない。その上でなぜ我慢をしなければならないのだろう。嫌いな人と顔を合わせて嫌な気分にならなければならないのだろう。偉い人の傲慢な言動に振り回された上で笑顔を作らなければならないのだろう。

 

一度で良いので幸せな気分とやらを味わいたい。かつては幸せだったのだろうがもうその気分を忘れてしまった。

やられたらやり返せ

過去最低の自分が続いている。状況や状態は悪くなるばかりで、その原因は間違いなく僕にある。

 

このブログに似たようなことを繰り返し書いてしまうのは自分が前進していない現れだろう。人や世の中に期待をして、その通りにいかないと過剰に反応してしまう。それがまた人のひんしゅくを買って、状況はより悪化する。

 

人に期待するから、腹が立つんだと言われる。

なぜそんなにネガティブなんだとも言われる。

その二つは相反していないか。

 

人に期待をしているのは確かだが、難しいことは望んでいない。自分がやるべきことはやりましょうね、人が気分悪くなることはしてはいけないよね、ぐらいのことである。だがそれは飽くまで僕にとって、と言う話であり、他の人からしたら我慢すればいいだけということなのだろう。

 

人のことなどどうでも良い、嫌われようがなんだって良いという強気でいられる時もある。大体そういった気分の時に人に攻撃的な一面を見せて、敵意をもたれる。

 

だがしばらくすると、自分のしたことが行き過ぎていたと気づく。それを後悔して報復を恐れる。人に恨まれている、嫌われているということが悲しく思う。人と違う扱いをされている、自分が普通ではない扱いをされていることを恥ずかしい。自分のしてしまったことが相手を故意に気分を悪くさせる行為だったことが恥ずかしい。

 

結局、自分が嫌悪している人に似たことを故意にしてしてしまったことが恥ずかしい。

 

だが、「やられたらやり返せ」をしてしまって何が悪いのだとも思う。要点は本当にやられたのかという点である。さらにはそれを訴えたところで相手はやったことを認めるかどうかという別の問題もある。

 

 

 

ここまで聞けば、僕が偏執病か何かの病気なのかと疑われるだろう。人のことを信じられない。一部の人を汚く嘘つきの集団だとしか思えない。人を愛さないのであれば、愛されることもない。

 

僕がどんな病気にかかろうとも心配をしてくれる人などいない。

いつもの如く、人を邪悪だと批判したいのだが、紛れもなく自分もその一員

ここ最近、一貫して感じているのは人は邪悪だということと、紛れもなく自分も邪悪だということだ。

 

自分だけでもちゃんとしていれば、人間とは嫌なものだと言える立場にいられたのだが、今では自分は一方的に人のことをああだこうだと言える立場にいない。自分も過ちを犯している。こんな子供染みたことをするなんて、人としてどうかしてるよねと嘲笑したいのだが、僕もしてしまったのだ。僕も彼らと寸分も違わず、余裕のない気色の悪い人間なのだ。

 

だが、先制攻撃は向こうからなのだという気持ちは消えておらず、どうにも謝る気持ちが起きない。そもそも僕は自分が可愛いために、人のことを批判することが好きなために、自分が折れるということをせず、人とうまくやれず、彼らの自尊心を不用意に傷つけてしまった。僕自身も人を見下すことが好きで仕方がないのだ。今までに出会ってきた邪悪な人たちが邪悪たらしめる行為や態度や言動は、自分もしてきた、しかねないものなのだと思う。

 

嫌がらせ染みたことをされている自覚がある。自分でもそういった考えをしがちで危険だと思っているが、今回はどれだけ客観的に見ても意識的にやっているとしか思えない。その尻尾をつかまれない程度の嫌がらせをする人らを嘲笑したいのだが、嘲る態度を彼らに見せれば一瞬の気晴らしにはなるが、彼らの憎悪を煽るばかりである。彼らの嫌がらせは激しさを増すだろうし、そうなれば僕の生きている世界はより邪悪になる。

 

なぜ僕ばかりがこのようなつまらない世界に生きているのだろう。頭を悩ませたり、体力を使うのであれば、こんなことに消費したくはない。僕以外の人間に余裕があれば、僕もうまくやれる自信がある。なぜこの世の中にはこんなに余裕のない人ばかりなのだろう。自分は楽しい世界、幸せな世界に生きていると思っていそうな自信たっぷりの人であっても、邪悪なことをしている。

 

先制攻撃うんぬんと言ったが、もしかしたら彼らに対して害のあることは何一つしていないと主張をしているが、気がつかないうちに彼らを苛つかせていたのかもしれない。その可能性は十分にある。今までの職場でも能天気な後輩に苛ついたことなんて山ほどあるし、考えてみれば、僕は何もしていないんだけど彼らから攻撃されましたというのも信憑性が薄い。僕自身が根拠もなく、攻撃された!と狼狽がちな人間であるためにその可能性が否定できない。

 

敵など作らないに越したことはない。だが、なぜか好きでもない連中に舐められながら、調子良く合わせることができない。こんな具合では社会でうまくやれないし、人から攻撃を受けてしまう。僕も知らずのうちに見逃してもらっているのに、僕は見逃していない気がする。

 

 

 

今朝、このことに関係している夢を見た。今憎くて憎くて仕方のない職場の人が夢の中に出てくる。なぜかその人はコンビニの店員をしていて、僕はそこで客として買い物をしようとしていた。

 

レジに行くと僕は彼を見つけて、あいつかよと思う。仕方なしに会計をしていると、明からさまに僕に向けての態度が悪く、それに対して僕は苛々する。終いに彼はおつりを返すこともせず、そのことにカッとなり彼にそれはないだろうと詰め寄る。ついに一瞬の心の緩みで彼の顔を足で蹴ってしまう。

 

なぜか蹴った相手はまた違う職場の人になっていた。僕はその人は憎んでもいないのだが。そして蹴る瞬間に僕はやばい、ついに我慢できずに暴力に訴えてしまうと頭で考えている。そのため加減をして小突く程度の力加減で彼を蹴った。

 

ああついにやってしまったと僕は頭を抱える。こんなことをすれば、仕事は辞めさせられるだろうし、今まで何とかまだ人でなしにはなっていないと思っていたが、ついに僕もカッとなって人に暴力を振るう人間になってしまったと怯える。だが事は大きなことにならず、もう忘れてしまったが色々な場面があり、結局は握手をして和解をする。妙なもので和解をする時には彼は僕の学生時代の友人になっていた。夢とは妙なものである。

 

この夢は恐ろしかった。すごくリアルで起きかねないことだと思った。嫌がらせをされていると感じた時は落ち着いていたし、帰り道も気分を余計に害すこともなく、無駄に狼狽もせずにうまくやっていたので、自分も少しは成長したのだなと思ったが、この夢を見たことで嫌がらせをされたことを僕はここまで意識していたのだなと少し落ち込んだ。

 

 

 

If you hate a person, you hate something in him that is part of yourself. 

もしあなたが人を憎むなら、あなたは彼の中にあるあなた自身の何かを憎んでいる。

 

ネット上で見つけた格言である。まさにその通り。こういった格言名言をネットで見ていると憎しみと許しをテーマにしたものが多い。偉人たちもそんなことで悩んでいたと思うと、心が落ち着く。