Death March 無職の行進

止まない雨は存在した。

R. I. P.

今週のお題「理想の老後」

 

明日も仕事なのに寝れない。一度は眠りにつけたのだが、しばらくたつと起きているのか寝ているのか夢を見ているのかよく分からない状態になった。その中で僕はなぜか仕事に追われているような感覚で、決して気分は良くはなかった。眠気がとれてきても仕事のイメージがどうしてもとれず、結局電気をつけてパソコンに向かうことになった。

 

確かに昨日は仕事でちょいとプレッシャーがかかる場面があり、なんとか失敗にならずギリギリのところで切り抜けたと自分では思っているだが、その時の興奮、負荷が寝てもなお残っていたのだろうか。面白いもので、仕事のことをどうにか頭から追い出そうとするのだが、職場での会話だとか、失敗してしまったパターンの妄想だとか、自分がどう見られていたかだとか考えなくて良いことがどこからでも自分の頭の中に飛び込んでくる。最後にはどうにか払拭しようとエロい妄想まで始めたのだがそれでもダメだった。

 

自分でも情けなくなるほどの豆腐メンタル。昨日が仕事で特別な仕事をまかされたわけではない。普段通りのことをやっていただけであるのに、その時のことを思い出して寝れなくなるとは自分でも情けない。

 

ついこの間の休日でも似たようなことを思っていた。仕事のイメージが抜けないというか、怒りが手放せないというか。常に気持ちが毛羽立っているというか。職場でのことで心が乱される。休日になってもその波がおさまらないのだ。

 

 

 

ここ何年も心に余裕がない自覚がある。だが、身体には何も起きていないことを考えると意外とメンタルが強いのではとも思うのだが。仕事の夢を見てしまったり、無意識のうちに仕事のことを考えてしまうことは頻繁にある。特に寝る前は(最近は布団に入ってからの記憶がないほどに寝付くのが早いが、)何を考えるかは自分次第であって出来る限り気持ちの落ち着く妄想でもしようといつも思うのだが、それがなかなか難しい。恥ずかしい話だが綺麗な女の人にただただ甘える妄想だとか、広い空間にただただ漂っている妄想だとか挑戦してみるのだが全くうまくいかない。

 

親の庇護をうけていたときはぐっすり寝れていたような気が今はする。心から自分のことを心配してくれる人がいて、話を聞いてくれて、もし僕が問題を抱えていたら(若い頃には全く悩みがなかったので実際は親にそんなことを話すことはなかったが、)いの一番に対応してくれる。今こう書いていて、本当にそういう状況に戻りたいと思える。一人で考えて一人でなんとかすることにもう疲れた。

 

友人がそういう役目を担ってくれるという考えもあるかもしれないが、僕はそんなことは期待できないと思う。世の中の人はそんなこともしてくれる理想の友人を皆持っているのだろうか。では友人がそういう役目を自分に求めてきたときに面倒臭がらずやるだろうか。やらないだろう。だからこそ、人には頼ってはいけないとも思う。

 

親には面倒をかけられない歳であるし、もうそろそろ僕の方が面倒を見なければならない歳かもしれない。子供のころ、父の運転のなか後部座席でぐっすりと寝ることがよくあった。あんな理想の睡眠は一生とれないだろう。

 

 

 

自分では理解できない人の言動に怯えたり、些細なことにイライラしたり、職場でのプレッシャーに狼狽えたり。この状態は死ぬまで続くのだろうか。なんとなく歳をとれば状況は良くなるだろうと思っていたがそんなことはなさそうな気がしてきた。この件とはあまり関係のないことかも知れないが、50手前ぐらいの若干初老とも見られるような人の良い先輩が職場で叱責されていた。あの齢で立場も上であるのに、あんな言い方されなければならないと思うの世の中は酷だとつくづく思った。

 

子供のころに死ぬのが突然怖くなって兄弟と共に大泣きしたことがあった。お爺ちゃん、お婆ちゃんの齢の人らが死ぬことをお迎えが来るなんて言って明るく話すことが当時は理解できなかったが、今では理解できる。これだけ自分でも馬鹿馬鹿しいほどに狼狽えて辛い辛いと毎日を過ごしていると、老衰で逝けるであれば爺と言われる齢になるのも悪くはないと思う(以前は死にたい死にたいと口癖のように言っていた時期もあったし、それを自分でも本心だと思っていたが、やはり一度も自殺を選択するほど思ったことはない)。なので死ぬ時に後悔しないように今精一杯やっておくべきとも思う。

 

死ぬ時ぐらいは安らかに逝きたいと思う。そう思わせるために今苦しんでいるような気もしてきた。毎日楽しいことばかりでは、死ぬのが怖いだろうしね(満面の笑み)。

 

 

 

 

 

自分は決して変われないのでは

今週のお題「夏を振り返る」

 

かの岡本太朗は、人類は進歩していないと言ったとか言ってないとか。

僕自身も歳をとって一向に進歩していないと感じる。

どれだけ反省、後悔をしたって繰り返しの連続。

 

食べ過ぎたから、食事を制限したっていつの間にかまた食べ過ぎるようになっている。人付き合いが面倒だと思って距離を置くけど、寂しくなって近づいてしまう。

 

人前で怒りなどストレスを抱えていることを見せることにうんざりして、良い人振るようになるが長続きしない。間もなく、嫌な人間に逆戻り。

 

どんなことも繰り返し。後悔があって、反省があって、改めるけど本来の自分とは違うから長続きしないので、また後悔したことを無意識のようにするようになる。20代の頃から自分の都合よくいかないことがあると態度に出すようになり、攻撃的な面を見せると物事がスムーズに行く面もありそれが癖になってしまった。

 

 

People don't change. まさにその通りだと思う。変わったと思うこともあるが、それはそもそも自分が持っていた性質とも思う。

 

人間が変わらない以上、僕の抱えている問題は一つも解決しないのでは。

 

You hurt people. Over and over and over. And then there's this show of remorse.

 

I know you don't think it's a show.

I don't doubt your emotions are real.

but what's the point of all the sad faces and the gnashing of teeth?

 

If you're not going to change your behavior, and you won't...

Why not just skip the whole exercise?

In the end, you're gonna hurt everyone around you.

You can't help it. So stop apologizing and accept it.

(Better Call Soul   Season3より)

ガバガバ

今週のお題「夏を振り返る」

 

他人を見ていて「よくそのガバガバさで生きてこれたな」と思ってしまう。最近になってこれをよく思う。これは僕の中でははっきりと出来上がっているのに言葉で説明し辛い。例をあげて説明したいと思う。

 

僕は人に失礼のないように、嫌われないように言葉使いや態度に気をつけているつもりだ。気をつけているというよりもビクビクしている、地雷を踏まないように気をつけている。一方で、世の中には失礼なことも平気で言ってしまう人がいる。そういう人は嫌われていたり、疎まれていたりするのかと思いきや、全然そんなことはない。なぜなのだろう。

 

僕は過去の職場で、仕事に対して怒られたり、叱られたりよくした(僕が不出来だったり、職場が異常だったという別の問題もあるかもしれないが)。なので仕事に対して過去に指摘された経験から「こうあるべき」というものが染み付いてしまった。目上の人と接する時はこうすべきだとか。自分の仕事が終わっても先輩が終わっていなかったら気にした方が良いだとか。一方で、僕の後輩の中には挨拶さえできない人もいた。僕はそれを見て、そんなことをしていると目をつけられるぞと思っていたのだが、彼らは特別叱られるわけもなくのびのびとしていた。なぜなのだろう。僕はなぜ怒られたのだろう。

 

僕ものびのびやってみようと思ったのだ。自分に厳しくなると、人を厳しく見るようになる。人を厳しく見るようになると、ストレスが多くなる。この悪循環を断ち切るために、試しに彼らのようにガバガバになってみようと思った。だが僕のガバガバは許されない。

 

職場の話だけではない。よく思うのが人付き合いおいてだ。僕は人付き合いにおいて我慢を強いられていると勝手に思っている(これも僕が過敏だとか別の問題があると思うが)。LINEが返ってこなくても、失礼なことを言われても、待ち合わせに遅刻されても。だが、そんな我慢をせずに奔放に振る舞う人がいる。親しい友人の陰口めいたことを平気で言ったり、僕はもし本人の耳に入ってしまったらと思うとヒヤヒヤしてしまうのだが、根にもたれたり関係が崩れたりしていないようなのだ。

 

一方で僕は故意に傷つけるつもりで言っていない言葉で恨まれたり(人に勘違いされていたり)、こちらは攻撃的な態度を見せていないはずであるのに反感を買っていたり。こんな経験いくらでも思い出される。今自分で書いていて思ったのだが、これは自分が故意でないにしろ、自分の無意識のうちに地雷を踏んでいるのだろうか。

 

 

 

 

なぜ僕は人を許しているのに、人は僕を許さないのだろう。似たことを言っていた人が過去にいたなあ。

 

dthma.hatenablog.com

 

こんな陰湿なことを考えているからストレスが手放せないのだろう。今年の夏も辛い夏だった。なにかうまくいきそうな気配はあったのだが。誰かが僕のことを監視していて幸せにさせないために邪魔をしているのでは(真剣には思っていない)。

 

僕自身にも自分では気づけないガバガバさがどこかにあるのだろう。だからお互いさまなのかも知れないが。痛いやつほどのびのびやっている。こういうのにイライラしているのは僕だけではないのでは?

精神的インポ

良いことがない、良いことがないと毎日思っているが、では良いこととはなんなのかと考えた時に、それはやはり女の子絡みではないだろうかと思う。

 

友人の結婚話やら、彼女と旅行へ行った話を聞くと羨ましいなと思うことはある。休日に一人で出かけたときは、楽しみつつもどこか一人で寂しいと思うことも多い。何よりも一人で精神的に辛くなったときに恋人がいたらなあと思うことはよくある。

 

親には心配をかけたくない。友人に相談をしても真剣にとりあってもらえるか分からない。なにより友人には僕以外の友人もいるだろうから、僕一人にかまっている余裕はないだろう。精神的にどうだなんていう気持ちの悪い話を休みの日に聞きたくはないだろうし、僕も真剣に取り合ってもらえなかったら落ち込む。

 

そうなるとやはり恋人とはいいものではないのだろうか。もし恋人がいたら、こんな毎日辛い辛いということもなくなるのではないかとも思うこともある。(そうなると僕のこの辛い辛い癖は恋人がいない不満が原因ということになってしまうが)

 

長い間そういう人が見つかればと思っていたのだが、最近になって女の子と知り合ったりすることがあった。本来であればついにきたチャンスなのだから、まず喜ぶべきだし、全力で前のめりで取り組んでいくべきことであるのに、いざそういう場面になるとそれほど嬉しくもないし、力が出ない。なぜなのだろう。あれほどまでに待っていたような出来事であるのに覇気がない。どうせダメになるだろうと思っているのだろうか。

 

なんか一度やる気を失ってしまったひとってこんなことになってしまうのかと考えてしまった。精神的インポというものか。

陰湿そのもの

全くのゼロの状態から怒ることができる。できるというよりも無意識にしてしまう。何度も繰り返し書いているかもしれないが、自分が怒ることが好きなのではと思ってしまう。良い気分で終わった一日があったとしても、今日は嫌なことはなかったか、人に攻撃はされていないかなど厳重にチェックする。チェックした上で、なんてない会話の中に僕に対する嫌味や批判など見つけ出し、(見つけ出しと書いているが、本当に作為的に放たれた攻撃なのかは自分では分からない)イライラしてしまう。ああやはり今日もいつもと変わりない悪い日だったと一日を締めくくる。だから毎日疲れているのだろう。

 

職場でもなんてない出来事を自分に対する攻撃だと思ってしまう。自分ではそれが攻撃なのか僕の過敏な勘違いであるのかが分からない。攻撃をされた直後は胸がズキっと痛くなる。そしてまた、やはり世の中は最悪だと些細な出来事からどん底の気分になってしまう。

 

なんとなく僕のことを良く思っていない、もしくはなめていると感じている人がいたとする(現にいるが)。だがその人と普通の会話をしたとするとやはりあの人は良い人だとすぐに許せてしまう(許すも何もなにもされていないかもしれない。自分では分からない)。そういうところは自分でも良いと思うのだが。

 

ころころ態度を変えて、好意的な笑顔を作ったり、不機嫌な高圧的な態度をとったり、自分がやっていることが好きになれない。簡単に許せるなんてことを書いたが、性格は「陰湿」そのものだと思う。些細なことで立場や年齢関係なくカチンとしてしまう。そして恨みを持ち、反撃をしないと気が済まない。これは陰湿そのものではないか。

次の会社がよっぽど嫌でなければ辞めないほうが良いよ

転職を繰り返してきた僕に対して、親から「次の会社がよっぽど嫌でなければ辞めないほうが良いよ」と控えめに言われた。

 

キャリアのない良い歳での転職活動は惨めであったし大変苦労したので、そのことを言われたときはその通りだと思った。

 

よっぽど嫌なことでなければ死ぬまでやり続けなければならない僕ってなんなのと今は思う。なにか今の生活を捨てて追いたい夢があるのかと言われれば、そんなものはない。親も僕を育てるために嫌なことを続けてきたから僕にも我慢するべきと言うのだろうか。

 

今の仕事はそこまで悪くはないが耐えられない。うまくは説明できない。労働環境も悪くはないし(お金は良くないが)、人もめちゃくちゃ悪いとは言えない。そんな比較的「当たり」の職場でも辛い辛いと言っている僕が働ける職場なんて他にないと思う。今の仕事は多少はやりがいもある。であるのにどうしてうまくやれないのだろう。満足できないのだろう。

 

生まれてこなければ良かったというのは「反出生主義」なんて小難しい言い方をされているらしいが、僕が主張したいのはそんな難しいことではなくて、より単純明快で誰でも少し考えれば理解できることだ。

 

生まれてこなければ、こんな辛い毎日を送らなくてすんだのに。かと言って死にたくもない。

おかしい

一人でいるのに誰かと喋っている。何が好きでこんなことをしてしまうのだろう。無意識のうちに始めるというよりも、意識的に好き好んでやっている気がする。自分が気持ち良くなる設定の中で、人を言い負かしたり、罵ったり、人を傷つけたり、見下したりしている。

 

以前にも何度も書いているかもしれないが、自分でわざわざ怒りを探しに行っているようでならない。自分が勝つ設定であっても、頭の中で怒ったりしているだけで妄想が終わったときには疲れていて、心穏やかではない。時によっては起きてもいない僕も妄想で被害者意識すらもってしまっているのでは。どれも職場絡みなので、休みの日にそんなことを思い出すことすらするべきではない。

 

人前では妄想止まりな行為かもしれないが、家にひとりでいるときは実際に喋り出したりもする。自己嫌悪になって止めたりもするが。完全におかしくなっていっている。奇人ぶっているわけではない。鬱ぶっているわけでもない。自分がおかしくなっていっているのが、ビシビシ自分に伝わってきている。とにかく人を批判したい。これは自分でも分かる。知らぬ間に人を批判する妄想ばかりしてしまうから。

 

 

僕は被害妄想が強い。ついこの間も、絶対にあの人は僕に向けて攻撃的なことをしてきたと確信をもって思ったりもしたが、今思えばそれは勘違いかもしれないと思える。後日、幸か不幸か自分が間違っていたかもと気づくことが出来たが、今後このままオカシクなり続ければ、僕は自分の妄想を現実だと思い込むような人になってしまうかもしれない。人の言動、態度を厚に厚い僕独自の検問にかけて自分に対して攻撃的ではないか、を判断する。先日はただ同僚が僕の座っていた椅子に、僕が席をたった直後に座ったことを僕に対する攻撃と思ってしまった。これは今でも僕は五分で相手の意図的な行動かとも思っているが。やはりおかしい。